【ロック闇歴史】衝撃の告白。ジャニスの死の裏にもこの男アリだった。

【ロック闇歴史】衝撃の告白。ジャニスの死の裏にもこの男アリだった。

1970年に起きたジャニス・ジョプリンの謎の急死事件について驚きの証言がみつかりました。

しかも当時「ジャンキー伯爵」と呼ばれていた伝説のドラッグディーラー、ジャン・ド・ブルトゥイユがここでも登場します。

彼が現役時代にやらかした大失敗ともいえるこの事件については回を分けて取り上げることにしました。前半になるこの記事では、有力証言を残した人物と概要についてご紹介します。

端的に言うと、ジャニスは売人の怠慢のせいで不本意に命を落としていたんです。

有名な2つの事件の裏で囁かれていた黒い噂

個人的なオタク趣味で、1970年代初頭にロック闇歴史のはざまに消えた「伝説のヘロイン密売人」のジャン・ド・ブルトゥイユに関する記事をこのブログでいろいろと書いてます。

この人、一時はロック界の大物を何人も顧客に持っていたような大物ドラッグ・ディーラーで、生まれも育ちも大層立派な肩書きを持っていたものの、いろいろあって裏社会の有名人となりました。

今回は長いこと彼の関与が囁かれていた、1970年に起こったジャニス・ジョプリンの突然死事件についての話題を掘り起こしてみました。

2024年の現在では彼の名前を知ってる人はほぼいないと思うのですが、当時の英米の音楽関係者の間では相当な有名人でした。ある意味、ロック史に名を残してもいいレベルの人ではないかと個人的には思います。

裏社会での彼の功績としては、まずジャニスやストーンズを始めとした多くの有名アーティストたちのおクスリ供給源として大活躍。

あの時代はドラッグの副産物ともいえる名作・名プレイも多いという時代だったから、考えようによってはリスナーにとってもドラッグによる恩恵はある程度あったのではないかという気もします。

ネガティブな面では歴史に有名な、1970~71年に立て続けに起こった「ジャニス・ジョプリンとジム・モリソンの連続突然死事件」への関与です。

両方の事件とも長いこと真相が今ひとつはっきりしない印象でしたが、彼の関与は事件の当初から事情通の間では囁かれ続けていました。

ジャニスとジムがほぼ時を同じくして世を去った話は有名ですが、実はあれは単なる偶然の出来事ではなくその裏にはこの男の存在があったんです。

今回の記事ではまず、1970年のジャニス・ジョプリンの急死事件に関する彼の関与を証明する有力証言についてご紹介します。

上の画像が1960年代後半から70年代初頭まで「ジャンキー・アリスト」と呼ばれて、英米仏を中心とした当時のショービジネス界の有名人相手にヘロインを売りまくっていた闇の密売人、ジャン・ド・ブルトゥイユ伯爵。

彼のくわしいプロフは下の記事で。

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ジャニスが死んだ夜の出来事を証言する人物

証言を残したのは「missマーシー(Mercy Fontenot,1949-2020)」という、当時LAを中心に活動していた「The GTO’s」という女性ばかりのパフォーマンス集団の元メンバーです。

売人のブルトゥイユとはドラッグ絡みのちょっとした顔なじみだったという印象です。

彼女は2020年に癌のため71歳で亡くなってしまったのですが、その死の直前に出版が決定したという現役時代の思い出を綴った回顧録「Parmanent Damage, Memoirs of an Outrageous Girl.」の中でジャニスの事件についてもくわしく語っていました。

それによると、「その日ブルトゥイユがジャニスに売ったヘロインが両者の予想を上回るほどの強いモノだったことから起こった不慮の事故で、責任は売人側にある」と結論付けています。

上がその本の表紙ですが、missマーシーは写真の通りかなりアク強そうで超個性的な女性です。10代で家出してから問題を起こして更生施設に入っていたとか、ちょっとワケありな人でもあります。

ヒッピー世代の申し子のような彼女は、当時いろいろなドラッグの実験に勤しんでいたこともありディーラーのブルトゥイユとも親しい間柄でした。

ジャニスの事件があった当日の夜にもブルトゥイユ本人と直接会ってやり取りしています。

ジャン(ブルトゥイユ)がジャニスに売ったのと同じヘロインをワタシに打った途端に、その日のブツはいつもと違うってことがすぐにわかったの。

すぐに物凄い勢いで落ちてく感覚になって意識も遠のいて・・・・

・・・といった話が赤裸々に語られていますが、同じ記事に入れるとかなり長くなってしまうのでそちらは別記事にまとめることにしました。

続きは「【ロック闇歴史】ジャニスを葬った「死のドラッグディーラー」はやはりオマエだったか・・・」でどうぞ。、

余談ですが、missマーシーが在籍していた「The GTO’s」はロックファンなら思わず注目してしまうような豪華なミュージシャンが大勢関わっていてびっくり。こちらはこの記事の後半でどうぞ。

とりぞう

とりぞう

若き日のジェフ・ベックとロッド・スチュアートが参加してるデビューアルバムの曲も聴けるよ♪

「クスリによる不慮の死」はジャニスの妹の証言とも一致

前述のmissマーシーの証言「その日買ったヘロインが予想外に強すぎて起こった事故」ということを、ジャニスの実妹・ローラもずいぶん前に証言していたことを突然思い出しました。

そのことを知ったのは20年ぐらい前に偶然読んだ彼女が生前の姉との思い出を綴った回顧録「ジャニス・ジョプリンからの手紙」(画像の本。音楽之友社刊、現在絶版)ででした。

missマーシーの証言と似たようなことが書かれていたのを覚えています。

ジャニスがツアー先でたまたまいつもと違うディーラーから買ったヘロインが、それまで使っていたものよりも強いものだったせいで・・・

その他の部分でもmissマーシーの証言と一致する箇所がいくつかあるので、「ヘロインのオーバードースによる不慮の死」というのはほぼ間違いないものと思われます。

missマーシーが語る「ジャニスが死んだ夜のこと」は下の記事で。

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【補足】「The GTO’s」がちょっとすごかった

せっかくなのでmissマーシーが在籍していた「The GTOs」について少しだけ。

彼女たちをサポートしていたバック・ミュージシャンが豪華すぎて驚き。

1969年にフランク・ザッパ(お元気でしょうかw)のプロデュースでデビュー。メンバーは当時LA界隈で有名だったグルーピーで固めたということで世間の注目を集めました。

しかし、活動が軌道に乗り始めたと思った矢先に複数のメンバーの起こしたドラッグ問題でザッパの怒りを買い、1971年に2年半という短い活動期間を閉じることに。ザッパはドラッグの類は一切やらない人だったらしいです。

画像は現役時代の「The GTO’s」。前列右端の派手な女性がmissマーシーと思われます。撮影当時は20代前半のはず。

ファッションにやや時代を感じますが、画像のようなジプシー風ファッション+アリス・クーパーみたいな隈取りメイクは生涯を通して彼女のトレードマークでした。

10代の頃からずっとロサンゼルス・エリアに住んでいて「SEX、ドラッグ、Rock’n’Roll、イェ~イ!」のヒッピー文化をリアルタイムで体験していた人でもありました。

大御所アリス・クーパーも同じ画像内に写ってるってことですが、ひょっとして左端の半分切れてる人がそう?!

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共演ミュージシャンの豪華さに驚く

ワタシはこのグループについては以前から名前だけは知ってましたが、具体的にどんな音でどんな活動をしていたのかはまったく知りませんでした。

今回初めて音を聴いてみたところ、バンドではなく女性ばかりの「歌って踊るキワモノ・パフォーマンス集団」だったということも初めて知りました。

「The GTO’s」は1969年のデビューアルバム1枚のみ、活動期間はたったの2年半という短命に終わったものの、多くの一流どころと共演していて驚き。

レコーディングに参加しているのは若き日のジェフ・ベック、ロッド・スチュアート、ローウェル・ジョージ(リトル・フィート)、デイビー・ジョーンズ(ザ・モンキーズ)という一流どころばかり。

さらにアリス・クーパーと一緒にツアーしたり、イギー・ポップやニューヨーク・ドールズと共演したりと驚くようなアーティストたちとも関わっています。

これだけのメンツを集められるのもフランク・ザッパの知名度と手腕によるところでしょうけど、身に余る光栄って感じですね。

結果的に短命で終わることにはなりましたが、その後に登場する「ザ・ランナウェイズ」や「The Go-Go’s」といったガールズバンドの先駆者的な役割を果たしたという点においてはアメリカで評価されている部分もあります。

下がジェフ・ベックとロッド・スチュアートが参加している曲(後半部分にベックのギターとロッドのボーカルが炸裂!)

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【まとめ】ジャニスの死にも「伝説のジャンキー伯爵」が関与していた

1970年に起こったジャニス・ジョプリンの急死事件は「実はヘロインの使用ミスによる不慮の事故死だった」と告白したmissマーシーの有力証言をご紹介しました。

ジャニスが亡くなることになったそもそもの原因は、その日に使ったヘロインがたまたまいつものブツよりも高純度だったことを知らずに使ってしまったことから起こった悲劇でした。

その問題のブツを彼女に売ったのが、既に当ブログでも紹介していた「伝説のヘロイン密売人」のジャン・ド・ブルトゥイユです。

当時ジャニスの他にも多くのビッグネームを顧客に持っていた彼については、他にも記事を書いているのでそちらも参考にしていただければと思います。

今回の証言を残したmissマーシーことMercy Fontegnotは1969~1971年にかけてフランク・ザッパのプロデュースでデビューした「The GTO’s」というガールズバンドのメンバーだった人で、当時ブルトゥイユとはドラッグ絡みで親交がありました。

彼女は2014年に癌のため亡くなりましたが、その死の直前に出版が決まった回顧録「Permanent Damage」の中でジャニスの急死事件についてもくわしく語っています。

この続きは「【ロック闇歴史】ジャニスを葬った「死のドラッグディーラー」はやはりオマエだったか・・・」でどうぞ。

さらにこの話には続きがあって、ジャニスの事件の翌年に起こる「ジム・モリソンのパリ変死事件」にもブルトゥイユが関与していることがわかっています。

続編は近日中に公開予定。お楽しみに~。

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