ロックの黄金期とも言える1960年代後半~70年代初頭にかけて多くのロックスターを相手に裏社会で暗躍した、びっくりな肩書きを持つ超セレブなドラッグディーラーがいたという衝撃の事実を最近知りました。
特にキース・リチャーズには格別に気に入られていたそうで。
しかもジャニスとジム・モリソンの謎の死にも関係してるっていうから、余計に気になってしかたがないじゃあないですか。
彼が亡くなってから半世紀以上が経つ今ではすっかり歴史の闇に消えてしまった感じですが、近年稀に見る逸材?だと思ったのでウンチク話として掘り起こしてみました。
今まで知られてなかったロック界の驚愕の新事実もザクザク出てきましたよ。知られざるロック史の一部としてお楽しみください。
インモラルでアウトレイジャスな「ジャンキー伯爵」の半生
時は「SEX、ドラッグ、ロッケンローーrrr、yeah!」のヒッピー文化全盛期。ウッドストック、ジャニスやジミヘンetcによる数々の歴史に残る名パフォーマンスが世間を沸かせていた頃・・・
アメリカで「ジャンキー・アリスト」と呼ばれて数々の大物ロックスター相手にヘロインを売りまくっていたのが、今回ご紹介するフランス人のジャン・ド・ブルトゥイユ(Jean De Breteuile、1949-1972)」です。
彼の名前におぼえのあるアナタは相当博学な方に違いありませんが、ワタシが彼の名前を最初に知ったのはつい最近観たジム・モリソンに関するYOUTUBE動画ででした。
「アリスト(貴族)」の名のとおり、彼自身が「伯爵」の称号を持つ本物のフランス貴族で大富豪の御曹司でもありました。
びっくりなのはハタチそこそこの若さで大物スターを多く顧客に持ち、裏社会で不動の地位を築いていたことです。
しかも、生まれながらのセレブな特権階級という身分を存分に利用して、並みのディーラーでは足元にも及ばないようなスケールのデカい商売をしていた人でもあります。
フランス版wikiには彼のプロフページがあるのでフランス国内では今でも知られた存在の印象ですが、なぜかその職業欄には「プレイボーイ、ドラッグ売人」と記されていて目が点に・・・^^;
とはいえ、実際に彼が現役として華々しく活躍していたのはほんの数年にすぎず、自らもヘロイン・ジャンキーだったせいで1972年にわずか22歳の若さでオーバードースで世を去っています。
ジミヘン、ジャニス、ジム・モリソンがバタバタと亡くなって間もない頃の出来事です。
人並はずれてゴージャスでドラマチックだった彼の人生を表現するとしたら、「インモラル、破天荒、アウトレイジャス」といった言葉がぴったりな気がします。
この記事ではその破天荒だった半生をご紹介します。
【トリビア】ブルトゥイユの実家がスゴすぎる!
下の画像は彼の生家の「ブルトゥイユ城」です。ベルサイユ宮殿には及びませんが、実物はなかなかの規模です。
彼の実家は正式には「ル・トネリエール・ド・ブルトゥイユ家」といい、その起源は1572年にまで遡ります。現在でもフランスではけっこうな位置づけにある一族のようで、フランス版wikiにはその家系図も載っています。
それもそのはずで彼のご先祖にはルイ14~16世の時代に大臣を歴任した人が3人もいて、そのうちの一人はフランス革命直前のルイ王朝最後の宰相となりました(あの「ベルばら」にも登場するらしい)。
こういう世界の住人だったので、庶民の想像も及ばないようなことがたくさんできたってことですね。ちなみに「ブルトゥイユ城」はパリからもそう遠くないショワゼル(Choisel)にあり、一般公開もされています。
セレブなパリピだった少年時代
そんな名門のご子息がなぜドラッグ・ディーラーなどという胡散臭い商売に手を染めるようになったのかというと、「たぶん生来の性格が遊び好きでチャランポランだったせい」としか思えません。
生まれながらにジェットセット生活(自家用飛行機で世界中を旅するようなセレブ生活)に慣れ親しんでいたような人なので、もはや庶民の理解の範疇を超える精神世界に生きてたんだろうと思います。
少年時代のジャン・ド・ブルトゥイユのことを知るというジャーナリストの言葉を借りると・・・
ジャンは人当たりは良かったが、同じようなブルジョワ家庭出身の裕福な少年たちが作るボヘミアンなグループに属していた。
彼らはハッシシやLSDをたしなみ、時には遠くインドにまで足を延ばせるほどの十分な財力を持っていた。
とまあ、今風の言葉でいえば「パリピ」ってやつですね。1960年代半ばあたりの話かと思われますが、ごく若いうちからドラッグ類には親しんでいたようです。
父親がまだ彼が年端もいかないような頃に亡くなったため、若くしてブルトゥイユ伯爵の称号とその莫大な遺産を相続していますが、ドラッグと放蕩三昧な生活のせいで徐々に経済的に締め付けられていきます。
このあたりから密売人へと転じていくのですが、彼が本格的にこの闇商売を始めるのは1967年にUCLA留学の名目でアメリカへ活動の場を移してからです。
「モロッコに始まり、モロッコに死す」だった人生
ちなみに彼はモロッコのマラケシュで育っています。
というのも、彼の父親のシャルル・ド・ブルトゥイユ伯爵は当時北アフリカのフランス語圏一帯で発行されていた新聞の利権を一手に支配していた「新聞王」だったこともあり、生涯を通じてモロッコにはなにかと縁がありました。
成人してからもモロッコはブツの主要な仕入れ先であり、オーバードースで人生終えることになるのもモロッコでした。余談ですが、彼には兄弟がひとりいるようなのでブルトゥイユ家自体は存続しているものと思われます。
画像は「ジャンキー伯爵終焉の地」となったモロッコ北部の港町タンジール。
1967年、アメリカへ。留学生から華麗なディーラーへと転身
とはいえ留学とは名ばかりで、実際には裏稼業のドラッグ密売の方がメインになっていきます。
UCLA入学後は自分のコネを駆使してモロッコから密輸した違法ドラッグ類をキャンパス中に売りさばいていました。
最終的には大学に籍を置いたまま学業そっちのけでヘロイン密売人の活動を続けていたようですが、卒業したという記述はどこにも見つからなかったのでドロップアウトした可能性が高そうです。
1970年から翌71年あたりが彼の闇商売のピークだったようですが、自らを「スターのための売人」と吹聴していたぐらい、当時彼が相手にしていたのは欧米の上流社会やショービジネス界の一流セレブばかりでした。
彼の顧客リストにはまるで「ロックの殿堂」とも間違えそうなほどのゴージャスな顔ぶれが並んでいます。
・ブライアン・ジョーンズ
・キース・リチャーズ
・ジミ・ヘンドリクス
・ジャニス・ジョプリン
・ジム・モリソン
あらま。あの時代の有名人はみんなこの方にお世話になっていたんですね^^;
ちなみに当時の顧客の中で2024年現在も健在なのは、キースひとりらしいです。
キース・リチャーズの超お気に入りに。「コットン・キャンディ」の逸話
多くの顧客のなかでもキース・リチャーズには格別可愛がられていたようで、彼とキースの間柄が窺われるようなエピソードが残っています。
あるとき、ブルトゥイユはキース・リチャーズにとっておきのギフトを献上することを思いついた。それは女性用の化粧コンパクトだったが、フタを開けると中にはぎっしりとピンク色の粉が詰まっていた。
これは中東から密輸されたばかりの「コットン・キャンディ」と呼ばれる上質なヘロインだ。
この作戦のおかげでキースにいたく気に入られたブルトゥイユは、キースが留守の間はロンドンの一等地にある彼の別宅を自由に使わせてもらえるという特権を勝ち取ります。
そしてこの家がブルトゥイユ自身のビジネス拡大にも一役買うことになるのでした(詳細は下のリンク記事から)。
この話はちょうどストーンズが南フランスで「Exile On Main Street(メイン・ストリートのならず者)」をレコーディングしていた頃の話ということですが、その裏でこんなドラマが繰り広げられていたなんてちょっとショックですね。
現存する彼の画像が少ないうえにあまり写りも良くないんですが、これがキース・リチャーズを虜にした「ジャンキー・アリスト」のジャン・ド・ブルトゥイユ伯爵です。
(これはYOUTUBE動画からのスクリーンショット)
プレイボーイとしても名高かったというけれど、20代前半のわりにはちょっと老けてないか?!
取り扱い注意な高純度の一級品。事故も多発
キースの他にも数々のビッグネームを虜にしたブルトゥイユですが、彼がスペシャルだった理由のひとつは扱っているヘロインの純度がとても高いことでも有名だったことです。
当時「チャイナ・ホワイト」と呼ばれていたほぼ純度100に近いものや、キースに特別なギフトとして献上した「コットン・キャンディ」というピンクのヘロインはとりわけ有名でした。
こういった「グッズ」は主に北アフリカ、中東、インド等から取り寄せていましたが、特権階級の彼にしかできない特別な手段を駆使していたので法の網にかかることもありませんでした。
それと同時に使う量を間違うと危険なほどの高純度のクスリだったため、時には「不慮の事故」で命を落とす顧客も少なからずいたといいます。
あの時代にドラッグで命を落としたミュージシャンて、このパターンも多かったのではないでしょうか・・・
ジャニスとジム・モリソンの事件にもブルトゥイユの影が・・・
今回調べてみて初めて知ったことですが、1970~71年に立て続けに起こったジャニス・ジョプリンとジム・モリソンの変死事件にも彼が深く関わっているということがわかりました。
そして、意外なところでびっくりな人物の名前が出てきたのでさらに驚き!
例えば下の画像のご婦人。関わった相手が悪かったのか、当時は彼女もおクスリ絡みで警察のご厄介になってたんですよねぇ・・・
「As tears go by」のヒットとミック・ジャガーの元カノとしても有名なマリアンヌ・フェイスフルも当時ブルトゥイユとは親密な関係にありました。
パリでジム・モリソンの変死事件があったときにも彼と行動を共にしていて、その後のモロッコへの国外逃亡にも同行しています。
事件があった当時、彼女は事件の真相を知る最重要参考人のひとりと言われていました。
2024年現在は70代後半になってるはずで、現在でも存命中と思われます。
マリアンヌとブルトゥイユのなれそめ?については「【ロック闇歴史】「死のディーラー」に魅入られてしまった3人のセレブ美女たち」でどうぞ。
・・・ジャニスとジムの死後30年以上も経てから公開されたそれぞれの事件に関する驚愕の事実は新たな記事で準備中♪
【まとめ】多くのロック・スター御用達だった伝説の「ジャンキー・アリスト」
1960年後半から70年初めにアメリカで「ジャンキー・アリスト」と呼ばれて、多くの大物ミュージシャンやセレブ相手に手広くヘロインを売りまくった伝説の密売人「ジャン・ドゥ・ブルトゥイユ(1949-1972)」」について簡単にご紹介しました。
500年以上も続くフランスの由緒正しき貴族の家の跡取りとして超セレブな身分に生まれたものの、まだ10代のうちにドラッグで身を持ち崩して自ら売人へと転落。
彼が本格的にこの闇商売を始めるのは1967年に留学の名目でアメリカへ移住してからです。最初は違法ドラッグ類をモロッコから密輸してキャンパスの学生相手に売りまくることからスタートしました。
生まれながらに特権階級だった彼は、その恩恵を存分に使いまくって裏社会で不動の地位を築いていきます。
現役時代のお抱えの顧客にはジャニス・ジョプリン、キース・リチャーズ、ジム・モリソン、ジミヘンといったあの時代のスターの名前が並びます。
とはいえ、彼が現役として大物スター相手に華々しい活躍をしていたのはほんの数年でしかなく、自身も長いことヘロイン・ジャンキーだったせいで1972年にモロッコで22歳の若さでオーバードースで死亡。
しかし、後になってから判明した事実によるとジャニス・ジョプリンとジム・モリソンの謎の死にも当時彼が関わっていたことがわかっています。
30年以上を経て公開された2つの事件に関する驚愕の事実はまた新たな記事として準備中なので、しばしのお待ちを。