1960年代後半~70年代初頭のロックの黄金期にキース・リチャーズをはじめとする数々の大物相手に暗躍した伝説のドラッグ・ディーラー、ジャン・ド・ブルトゥイユついて独自に発掘した情報を「ジャンキー伯爵シリーズ」と題してご紹介してます。
今回は20歳そこそこの若さで彼がどうやって一流の顧客を多く持ち、なぜ短期間で裏社会で不動の地位を築きあげることができたのかを探ってみました。
彼の驚きのビジネス拡大スキームについてご紹介します。
ロック黄金時代に裏社会に君臨した若きドラッグ王
今ではすっかり忘れられた存在の人なので2024年現在で彼の名前を目にすることはほぼないと思いますが、ある意味ロックの歴史の一部とも言える人物なので勝手にリバイバル?させてます。
ちなみに当人は1972年に享年22歳で亡くなってます。
自らもヘロイン常習者だったせいで「ジャンキー伯爵」と呼ばれ、ロックの黄金期に多くのスターのおクスリ供給源として暗躍していたのがジャン・ド・ブルトゥイユ(下)です。
1949年生まれで500年以上も続くフランスの名門貴族の跡取りとして生まれたものの、10代のうちにドラッグとボヘミアンな放蕩生活のせいで身を持ち崩してディーラーへと転落。
(参考までに。彼の生家の「ブルトゥイユ家」はフランス版wikiにその家系図が出ているほどの名門です)
彼の破天荒な人生については別記事【ロック闇歴史】大物スター御用達だった伝説のヘロイン密売人でご確認いただければと思います。
最初はパリやロンドンに立ち寄るミュージシャンや上流社会のセレブ相手にヘロインを売っていましたが、1967年にUCLA留学の名目でアメリカへと活動の場を移します。
ここから本格的にディーラーとしての活動をスタートさせますが、最初はキャンパスの学生相手に違法ドラッグ類を売りさばくことから始まり、徐々にそのターゲットはショービジネス界の大物へとシフトしていきます。
特権階級ならではのマル秘のビジネス・スキーム
渡米してから大して時間も経たないうちに数々のビッグネーム御用達として大活躍することになるのですが、ここでふと疑問に思うことがありました。
「ハタチそこそこの若造がなぜ、ごく短期間の間にこんな大出世ができたのか?」
彼について書かれた海外サイトのいくつかの記事を参考に検証してみた結果、「それはひとえに特権階級としてのアドバンテージをフル活用したから」ということに気付きました。
コネを利用して大使館関係者に近付きワイロを握らせて独自の密輸ルートを開拓したり、自家用飛行機を使ってフリーパスで海外からこっそり麻薬類を持ち込むなんてことがメインだったようです。
元々が抜け目のない計算高い性格だった印象ですが「持っているものをフル活用して利益を生み出す」という才能に長けていた気がします。
そしてもうひとつ、生まれ持った才能をフル活用してビジネス拡大に利用していた驚きのスキームがあります。
「特権乱用+ホスト商法」が成功のカギだった
ブルトゥイユが常套手段としていたこのやり方を「ジャンキー伯爵スキーム」とでも呼びたくなるんですが、特権乱用に加えてメインだったのが女性を「愛人+顧客+販促のための踏み台」として何重にも利用する方法でした。
プレイボーイとしても有名だった彼は複数の女性と同時進行の関係があたり前だったようですが、その関係も常に打算的なものでした。
ただの愛人としてではなく、狙うターゲットと親しい間柄にある女性を「色とクスリ」で手なずけておいて本命ターゲットに近付くために利用するというものでした。
彼のそういった「女友達」のひとりだったマリアンヌ・フェイスフルの言葉にはそれが凝縮されている気がします。
ブルトゥイユはワタシと親密な関係を持つことに執着していたけれど、それはワタシを利用してミックを始めとするストーンズ関係者に近づくのが彼の本当の目的だった。
そのうえ女性たちはヘロインの顧客にもなってくれたので、彼にとっては「一羽で何倍もおいしい」カモネギだったことでしょう。
彼について知るためのいいサンプルがあります。
上の画像はフランス版wikiに出ているブルトゥイユ家の家系図の一部で、何百年も前からのご先祖の名前や肩書きががずらっと書かれているものです。
しかし、その最後に出ているのが「ジャン・ド・ブルトゥイユ。プレイボーイで麻薬売人」って・・・絶句・・・^^;
wikiに書かれているぐらいなので、このことは当時からフランス国内ではある程度知られたことだったのではないかと思うのですが、だいぶ派手にやってたんでしょうね。
「フランス貴族」のブランド・バリューで女性を攻略:パメラ・コーソン
それに加えて、特に女性に対しては「生粋のフランス貴族」という肩書きが大いに役立ったはずで、人当たりも良かったということなので狙ったターゲットを抱き込むのも楽勝だったでしょうね。
そのいい例が、彼の長年の愛人でもあったパメラ・コーソン(ドアーズのジム・モリソンの内縁の妻)です。
彼女はすっかりジャンキー伯爵マジックに酔わされてしまったうちのひとりですが、同時に彼の影響で自らも警察にマークされるほどのヘロイン・ジャンキーでもありました。
ブルトゥイユは常にパメラのそばにいて、彼女のことをプリンセスのように扱っていた。
世界中に点在する彼の別荘に招待するときにはいつも自家用飛行機が使われた。そして、その間もずっと十分な量のヘロインが彼女に供給されていた。
上は当時のことを知る人の証言で、パメラのこの話はアメリカ人の持つ「フランス・コンプレックス」が垣間見られるような話に思います。同時に、バックにジム・モリソンという強力なスポンサーを持つ彼女はブルトゥイユにとってはまさに上客中の上客だったことでしょう。
とはいえ、彼女がそうやっておフランス上流社会の優雅な空気とヘロインの快楽に浸ってる間に、本来の相方であるジムの方は持病のアル中の悪化とスキャンダルのストレスのせいで心身ともに最悪な状態に。
ついにはドアーズの活動にまで支障をきたすようになり、やがては取返しのつかない大災難へとつながっていくのでした。
ジム・モリソンと彼の「ソウルメイト」のパメラ・コーソン(インスタ投稿より)
しかし、ブルトゥイユと関わった代償も大きかった・・・
前述のマリアンヌとパメラも含めるとブルトゥイユの手に落ちた?女性はわかっているだけで3人います。しかもみんな年上のハイソな美女ばかりっていうのもすごいですね^^;
もうひとりはオランダ国籍の美人女優/モデルのタリサ・ゲティで、彼女は大富豪の人妻でもありました。
とはいえ、彼女たちがブルトゥイユと関わったのは不幸の元にしかならなかった印象で、3人のうち2人はその数年後にヘロインのオーバードースでまだ若いうちに世を去ることになります。
ブルトゥイユの方は1970年のジャニス・ジョプリンとその翌年の1971年に起こったジム・モリソンの謎の急死事件にも深く関わっているという噂があり、それぞれの事件の直後には女連れで海外逃亡しています。
そのときはパメラとマリアンヌがそれぞれ同行していますが、この件についてはまたあらためて取り上げる予定。
今回の記事の続きは下の記事でどうぞ。
【まとめ】 ジャンキー伯爵のびっくりなビジネス拡大スキーム
ヒッピー・カルチャー全盛の頃に数々の大物ロックスター相手にヘロインを売りまくった「伝説のヘロイン密売人のジャン・ド・ブルトゥイユ」がいかにして短期間でスターダムにのし上がることができたのかを、独自に調べた情報から考察してみました。
その結果、理由は下の2つだということに気が付きました。
1. 持ってうまれた特権階級としての権利やコネを存分に使いまくり、一般人にはとても真似のできないことも数多くできたこと。
2. プレイボーイとしても有名だったので、狙うターゲットに近しい女性を懐柔し顧客開拓のために利用しまくる「ホスト商法」を活用。
同時に女性たちは彼のおクスリの顧客にもなってくれたので、これは一石二鳥な戦略でもありました。
しかし同時にヘロイン漬けになることにもなったので、関わった3人のうちの2人はまだ若いうちに不幸な結末を迎えることになってしまうのでした。
ジャンキー伯爵のくわしい経歴については【ロック闇歴史】大物スター御用達だったヘロイン密売人をどうぞ。
この続きは続編として準備中。お楽しみに~♪
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