既に別記事で触れている1970年のジャニスの急死事件について衝撃の告白を残した元GTO’sのmissマーシーの回顧録から該当部分をご紹介します。
ジャン・ドゥ・ブルトゥイユのこの事件への関与については事件直後から長いこと囁かれてはいたものの、確固とした証拠や証言もなく長いこと歴史の闇に埋もれたままでした。
本人もそそくさと亡くなってしまったしね。が、今回の証言で彼の関与は決定的になったとも言えます。
今回はいつもよりもボリューミーな記事になってます。アシカラズ。
多くのロック・ファンがまだ知らない事実
今回は元「The GTO’s」のmissマーシーの回顧録「PERMANENT DAMAGE」の中で触れられているジャニスの急死事件についての記述を本からの抜粋を交えながらご紹介します。
ワタシがこの本のことを知ったのは、海外サイトでその編集者による紹介記事をみつけたのがきっかけです。missマーシーの回顧録からの抜粋も一通り出ていたので今回はそれを参考にしました。
しかし、英語なので翻訳作業がけっこう大変だった・・・^^;
冒頭でも触れた、当時の裏社会で有名だったドラッグ・ディーラーのジャン・ド・ブルトゥイユは今回のキーパーソンでジャニス事件への関与が長いこと疑われていた人物でもあります。
今回のこの証言で彼の関与はほぼ確定したと言えますが、彼と著者のmissマーシーとは「売人と馴染み客」みたいな関係でした。
彼が「ジャンキー伯爵」と呼ばれたのはフランスの名門貴族の坊ちゃんだったからで、そのへんについては下のリンク記事で確認していただければと思いますが、とにかく「時の人」とも呼べるほど話題満載な人物です。
特権階級の身分を存分に利用したことでキース・リチャーズを始めとする大物ロックスター御用達となりますが、自らもヘロイン・ジャンキーだったせいで1972年に22歳の若さで世を去っています。
1970年10月4日。ジャニスの死んだ夜に起こっていたこと
ここからはmissマーシーの回顧録からの抜粋を交えながらジャニスが亡くなったその日に起こっていたことを時系列で。
文中で「ジャン」となっているのは、前述のジャン・ド・ブルトゥイユのことです。
当時彼が扱っていたヘロインは純度がとても高いことでも有名で、ジャニスのオーバードースの原因になったのもそれに端を発しているのですが、顧客(ジャニス)に渡すブツを安全なレベルのものなのか確認もせずに売ってしまったことから起こった不慮の事故だったと語られています。
(これと似たような話をジャニスの妹のローラも以前に証言していました)。
本の概要とmissマーシーのプロフについては下の記事を参照してくださいマセ。
彼女がその昔所属していた「The GTO’s」は、1969年にフランク・ザッパのプロデュースでデビューしたガールズバンド(というよりはキワモノ・パフォーマンス集団か?!)ですが、ジェフ・ベックをはじめとする有名ミュージシャンが多く関わっているのでロックファンにとっては注目度高し。
詳細は下のリンク記事で。
ホラー・・・人間をモルモットがわりに・・・
「ジャニス・ジョプリン急逝」のニュースが全米を駆け巡ることになる直前の1970年10月4の夜のこと、「ジャンキー伯爵」ことジャン・ド・ブルトゥイユがその日ジャニスに売ったものと同じヘロインを携えてmissマーシーを突然訪ねてくるところから話が始まります。
当時missマーシーは悲劇の舞台ともなった「ランドマーク・ホテル」にもほど近い、ハリウッドの「ラ・ブレア通り」に住んでいたそうで、LA(ロサンゼルス)界隈ではブルトゥイユはよく知られた存在だったとも語っています。
この頃彼は20歳を出たばかりで、まだUCLAに籍をおいたままの幽霊留学生の身分で売人を続けていたのではないかと思われますが、この日ブルトゥイユは「ある目的」のためにmissマーシーを訪ねてきます。
ジャンはジャニスに売ったのと同じヘロインを持って突然やってくると、それをワタシにも試してみたいって言ってきたの。これはいつものことで、彼はワタシを実験用のモルモットとして使っていたのよ。
そのころのワタシはヘロインにはそれほどハマってはいなかったんだけれど、すすめられたドラッグの類は何でも片っ端から試してた時期でもあったからね。
「ええぇ、人間をモルモットがわりに?!」と驚愕したものの、この時代はドラッグやることがヒップでトレンディな証でもあったので当時の感覚としては普通だったのかもとも思います。
そして実験の結果、そのヘロインは危険度の相当高いものだったことが判明します。
それを打った直後に何かがおかしいことに気付いたの。そしてすごい勢いで意識が薄れていくのを感じながら、次の瞬間には反射的に叫んでたみたい・・・・
「助けて!これヤバイ、ものすごい勢いで落ちてく感じ!」って。
その直後にジャンが中毒を緩和するためのコカインを大量に打ってくれたおかげでワタシは死なずに済んだんだけど、ジャニスは本当に運が悪かったとしか言えないわね。
コカインに中和作用があるなんて初めて聞きましたが、これは医学的にも認められていることなんだそうです。
しかし、時すでに遅しで問題のブツは既にジャニスの手に渡ったあとでした。
ジャニスが死んだ週に犠牲者が9人も・・・・
さらにmissマーシーの証言は続きますが、ジャニスのほかにも同じくブルトゥイユから買ったヘロインと思われるモノで命を落としたり、危険な中毒状態になったという人がその週に多発していたことが語られています。
前出の人体実験の謝礼のつもりなのか、missマーシーはその危険なヘロインをブルトゥイユからプレゼント?されますが、とても自分の手に負えるようなシロモノではないと悟った彼女はそれをジャンキー仲間にタダで譲ることにします。
しかし、それを使った人も危うく命を落としかけるようなことになったと聞かされ・・・
そうこうするうちにその日の午前2時頃に「ランドマーク・ホテルでジャニス・ジョプリン急死!」のニュースがLA一帯を駆け巡ります。
ジャニスのニュースを知ったジャンはかつてないほどのショックを受けてた。まさか自分の売ったヘロインで彼女が死ぬなんて夢にも思ってなかったみたい・・・
2024年の現在でさえ当時の混乱ぶりは容易に想像できますが、このことを知って一番ショックを受けていたのはブルトゥイユ本人だったとも語られています。
陰謀説めいた噂も流れていた
それと同時に、ジャニスの死に関して当時は陰謀論とも思えるような噂もその界隈では囁かれていたとか。
ジャニスがいつも首からかけていたペンダントの中にヘロインでオーバードースしたときのための中和用のコカインが入っていたんだけれど、彼女の友人がいつの間にか中身をヘロインとすり変えてしまってたっていうのよね。
ジャンはそれで嵌められたんじゃないかって・・・
でも実際に確かめたわけじゃないし、本当のところはわからないんだけど。
結局その週にはLAでは高純度のヘロインによるオーバードースでジャニスを含めて9人が亡くなり、そのほかにも重度の中毒症状になった人が何人も出たということが語られています。
しかし、使ったら即死レベルの超危険なヘロインをチェックもせずに市場に出してしまったことは売人である彼の過失としか言えず、その責任についても言及しています。
回顧録の中でのジャニスの事件に関する証言はここで終わっています。
この事件のその後の驚愕のなりゆき
この事件にはまだまだ続きがあるんです。
ジャニスの一件で米国内での自分の立場が危うくなりつつあることを悟ったブルトゥイユは、そそくさとフランスへと女連れで国外逃亡します。
このときに同行するのがドアーズのジム・モリソンの長年の連れ合いでもあり、ブルトゥイユとも長いこと不倫関係にあったパメラ・コーソン(下。インスタ投稿から)です。
そしてジャニスのこの事件でアメリカには見切りをつけたのか、ブルトゥイユは今度はヨーロッパに拠点を移して活動を再開しますが、そのときに手を貸すのがキース・リチャーズです。
(このエピソードについては「【ロック闇歴史】キースも共犯?!ジャンキー伯爵のセレブ美女狩り」で紹介中)
そしてジャニスの死から大して時間も置かずして翌年の1971年にジム・モリソンがパリで謎の死を遂げることになり・・・という最悪の展開へと向かっていくのですが、この続きはまた別の機会に。
一方のmissマーシーは2020年、この本が出版された直後に癌のため71歳で亡くなっています。大切な証言を残してくれたことには感謝したいですね。
しかし、彼女の証言がきっかけになって何かの進展があったといった話は聞かないので、ジャニスのこの事件はこのまま伝説として風化していく可能性が高い気がします。
いずれにしてもこの二つの事件はブルトゥイユが現役時代にやらかした最も大きな失敗のひとつには違いないと思います。
というのも、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで怖いものナシだった彼もジャニスの事件を境に命運も尽きていったような印象を受けるからです。
「ジャンキー伯爵」は突っ込みどころ満載の人物ゆえ、続編はまだまだ続くよ。お楽しみに♪
今回のネタ元記事(外部リンク。英語)
‘I was with Janis Joplin’s drug dealer the night she died’ by Lyndsey Parker, Editor in Chief, Yahoo Music
ps 今回取り上げた本「Permanet Damage, A Memoir of an Outrageous Girl.、 Mercy Fontenot」はamazon.co.jpでも取り扱いがあります。さらにAudibleでも扱いがあって、1カ月無料体験なら無料で聴ける! が、両方とも英語版のみです。
【補足】ジャニスの実現されなかった夢の共演と幻の新曲
ところでジャニスの突然の死で陽の目を見ることのなかった「幻の新曲」があったことを知ってました?
名作「PEARL」は彼女が遺した最後のアルバムとなってしまいましたが、実はまだジャニスが存命中から既に次のアルバムの話も着々と進んでいたんです。新アルバム収録曲としてニューヨークの有名なソングライターが彼女のために書き下ろした新曲も準備されていました。
「I’m Gonna Rock My Way To Heaven.」というその曲はジャニスの死後数十年を経てから、形を変えてめでたく陽の目を見ることになります。ジャニスとその作曲家の「意外なつながり」については別記事を準備中。
下はジャニスの直筆サインです。きれいな字を書く人だったんですね。
あらためて、ジャニスに合掌。
Original: Janis Joplin Vector: SINGmeAsadSONG, Public domain, via Wikimedia Commons
【まとめ】ジャニスの死にもあの「ジャンキー伯爵」が絡んでいた
2020年に出版された元GTO’sのmissマーシー(Mercy Fontnot)の回顧録「Permanent Damage」の中で語られている「ジャニス・ジョプリンの死の真実」に関しての記述をその抜粋とともにご紹介しました。
(「The GTO’s」は1969年にフランク・ザッパのプロデュースでデビュー、ロサンゼルスを中心に活動していた女性ばかりのパフォーマンス集団です)
ジャニスが亡くなることになったのはヘロインのオーバードースであることに変わりはないですが、そもそもはそのヘロインを彼女に売ったドラッグディーラーのあまりにもお粗末な仕事ぶりに原因があったことが判明。
その売人とは既に当ブログで紹介していた「伝説のジャンキー伯爵」こと、フランス人のジャン・ドゥ・ブルトゥイユです。
彼がその日ジャニスに売ったヘロインが予想外に強いものだったことから起こった不慮の事故でしたが、この事件は彼が生前にやらかした最も大きな失敗のひとつだといえるでしょう。
ブルトゥイユはこの事件の後には拠点をヨーロッパに移して売人活動を続けますが、この翌年に起こるジム・モリソンのパリでの急死事件へも彼の関与が疑われるようなことが起こります。この続きは準備中。
今回取り上げたmissマーシーの証言が日本のロックファンの間に少しでも広まることを願ってます。
今回のネタ元記事はこちら(外部リンク。英文)
‘I was with Janis Joplin’s drug dealer the night she died’ by Lyndsey Parker, Editor in Chief, Yahoo Music
補足として下の各記事も是非ご一読を。
・ジャン・ド・ブルトゥイユ
【ロック闇歴史】大物スター御用達だった伝説のヘロイン密売人
【ロック闇歴史】【ロック闇歴史】セレブを攻略!「ジャンキー伯爵」の驚きのビジネス拡大スキーム
【ロック闇歴史】キースも共犯?!ジャンキー伯爵のセレブ美女狩り
・missマーシーとThe GTO’s
【ロック闇歴史】衝撃の告白。ジャニスの死の裏にもこの男アリだった。
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