歴史の闇に消えたロック黄金時代の華麗なるヘロイン密売人、本物フランス貴族のジャン・ド・ブルトゥイユについて独自に発掘した情報を「ジャンキー伯爵シリーズ」と勝手に銘打って連載中^^;
記事タイトルがやや仰々しい気もしますが、プレイボーイとしても有名だったブルトゥイユはその手腕を自らの闇商売のためにも積極的に利用していました。
1970年に活動拠点をアメリカからヨーロッパへと移した彼は、ある幸運な機会を得てロンドンで新規一転の顧客開拓活動に乗り出しますが、この裏には親しい間柄だったキース・リチャーズも一役買っていました。
とはいえ、彼が突然アメリカからヨーロッパへ戻ることになったのはある驚愕の理由がありました。
上の2つのエピソードについてご紹介します。
1971年夏、キースの協力でビジネス拡大に成功
今から半世紀以上も前のロック黄金時代に暗躍した伝説のヘロイン密売人、当時20歳そこそこでしかなかったジャン・ド・ブルトゥイユが「どうやって短期間で売人としてスターダムに昇りつめたか」に関する記事を回を分けてご紹介してます。
後編になる今回のテーマは「若きジャンキー伯爵のビジネス拡大にキースが一役買っていた話」にスポットを当ててみました。
(前編は別記事「【ロック闇歴史】「ジャンキー伯爵」ブルトゥイユの驚きのビジネス拡大スキーム」で)。
ジャン・ド・ブルトゥイユのプロフィールは下のリンク記事からどうぞ。
まだの人は併せて読んでおくれやす♪
で、タイトルの「キース」は言わずとも知れたキース・リチャーズのことですが、当時はジャン・ド・ブルトゥイユの主要な顧客であったと同時に個人的にも彼とは格別親しかった印象があります。
とはいえ「共犯」とは言っても別に犯罪絡みの悪いことをやったわけではなく、キースがブルトゥイユのビジネス拡大に少しばかり手を貸したというレベルの話なので誤解なきように。
極上ギフト「コットン・キャンディ」の逸話
2人が親密になったきっかけは、ブルトゥイユがキースに贈ったある「極上ギフト」です。
そのギフトというのはとんでもなく高価なものであると同時に、凡人には到底思いもつかないようなぶっ飛んだヤバイものでさすがのキースも仰天したに違いないのですが・・・
それは、女性用の化粧コンパクトの中にたんまりと極上のヘロインが仕込まれているという、とんでもないロモノだったんです。絶句・・・
ちなみにこのヘロインは「コットン・キャンディ」と呼ばれるピンク色した産地直輸入の極上品でした。英語で「cotton candy」は読んで字のごとく「綿あめ」のことですが、色が似てるからそう呼ばれたんでしょうね。
キースを虜にした「コットン・キャンディ」のエピソードは下の記事でも紹介中。
キースに借りた家を根城にセレブ美女狩り
今回のエピソードは彼のビジネスがさらに急成長した1971年の夏頃の話で、それまで多忙な日々を送っていたアメリカからワケあってフランスへと戻ってきていました。
ジャンキー伯爵21歳のときの話です。
例の極上ギフトでキースを感動させたブルトゥイユは、そのご褒美としてロンドンの一等地にあるキースの別宅を自由に使ってもいいという、願ってもないオファーを受けます。
このときに実際にふたりの間でどんな取り決めetcがあったのかは不明ですが、英仏のワル2人組による「イタズラ的な悪だくみ」だった可能性もなきにしもあらず、という気もします。あくまでも憶測ですが。
というのも、その界隈チェイニー・ウォーク(Cheyne Walk)は古くから有名人が多く住むロンドンきっての高級住宅街でもあり、ブルトゥイユにとっては思わず食指が動いてしまうような魅力的なマーケットでもあったからです。
彼の目と鼻の先とも言える距離にはオランダ国籍の女優でモデルとしても有名なタリサ・ゲティ、そしてミック・ジャガーの元カノのマリアンヌ・フェイスフルという2人のカモネギなセレブが一人住まいしていたのでした。
特に隣の家に住んでいたタリサは彼にとってかっこうの獲物だったに違いありません。
彼女は別居中の人妻ではありましたが、その夫は大富豪としても有名な「ゲティ・オイル」の御曹司のジョン・ポール・.ゲティⅡ世という、ブルトゥイユにとってはこのうえなく魅力的な大型案件だったからです。
ターゲットを定めた彼がこの千載一遇の好機を逃すわけがなく、すべては用意周到に進められていきます。
この顛末は下の記事でどうぞ。
その一方で、ジャニスの死の影で囁かれていた噂。
前述した彼が突然アメリカからヨーロッパへ戻ってきた理由というのがまたびっくりで、よくよく調べてみたらなんと、ジャニス・ジョプリン絡みの理由によるものだったんです。
以前にジャニスも彼の顧客のひとりだったことに触れましたが、1970年10月にジャニスがオーバードースで亡くなったときにもその裏でブルトゥイユの関与がずっと囁かれていました。
それを知ってか知らずか、ジャニスの死からそう時間も経たないうちに突然アメリカからフランスへと愛人のパメラ・コーソン(ドアーズのジム・モリソンの女)を伴って出国しています。
しかし、ジャニスの死から1年も経たないうちにロンドンに拠点を移して再出発をはかっていたとはびっくりです。しかもこのすぐ後にパリで起こるジム・モリソンの急死事件にも彼の関与が疑われてまたもや国外逃亡するんです。
参考までに、下の表にジャニスの事件以降のわかっているだけの彼の足取りを時系列にしてみました。
・1970/10/4
ロサンゼルスのホテルでジャニス・ジョプリンが謎のヘロイン・オーバードース死。
関与を疑われ、世間の非難にさらされる前にフランスへと国外逃亡。
・1971年夏ごろ
ロンドンでキースの協力を得て新規顧客開拓のために美女狩りを敢行。
・1971/7/3
マリアンヌ・フェイスフルとパリに滞在中にジム・モリソンがヘロイン絡みの謎の急死。
その翌日にモロッコへと逃亡。
・1972/7/25
モロッコのタンジールで自身がヘロインのオーバードース死。享年22歳。
一説には自殺とも殺人事件とも言われている。
こうやってあらためて見てみると、彼の行くところ必ず誰か死んでることにも気付きました。ここに書いてない分も入れると実際はさらに人数が増えるという・・・
ジャニスの一件でトンズラして以降はアメリカへは戻ることはなかったようです。
【補足】ミックやキースが住んでた家をチラっと見(動画リンクあり)
下は記事中で触れたロンドン屈指の高級住宅街「チェイニー・ウォーク(Cheyne Walk)」と有名人の家を紹介している動画です。歴史的な一角でもあり、昔から裕福な有名人が多く住む地域としても有名です。
・1:50 1969年当時にキースがアニタ・パレンバーグと住んでた家
・8:20 ミックが1968年当時にマリアンヌ・フェイスフルと住んでた家
・10:25 ミックが新しく買った家(城といった方がいいような・・・)
・11:20 ロン・ウッドの家(いくつか持ってるうちのひとつのようです。元は画家ターナーの家)
外から見せるだけなので内部はわかりません、アシカラズ。
【まとめ】キース・リチャーズとブルトゥイユはマブダチだった
「ジャンキー伯爵」ジャン・ド・ブルトゥイユが1971年の夏にキース・リチャーズの協力でロンドンでのビジネス拡大に成功した逸話についてご紹介しました。
キースと彼とは個人的にも親しかった印象で、ロンドンの高級住宅街にある別宅をブルトゥイユに自由に使わせるほどの仲でした。
そもそも二人が急接近したのはブルトゥイユがキースに贈ったある「極上ギフト」がきっかけでしたが、それがまたびっくりなぶっ飛んだシロモノでした。
キースのおかげで絶好の機会を得たブルトゥイユはプレイボーイとしての手腕を利用すべく、すぐ近所に住んでいたタリサ・ゲティとマリアンヌ・フェイスフルという、2人の大物セレブ美女をターゲットに定めて活動開始します。
が・・・それぞれの登場人物には予想もしないような結末が待ち受けているのでした。今回の続編と彼女たちのエピソードについては【ロック闇歴史】死のディーラーに魅入られてしまった3人のセレブ美女たちでどうぞ。
今回のこのエピソードは1970年10月にアメリカでジャニス・ジョプリンの急死事件が起こって1年も経たない頃の話ですが、当時この事件への関与を疑われていたブルトゥイユは事件の直後にアメリカからフランスへと国外逃亡していたこともわかりました。
ジャニスの事件から1年も経たないうちに性懲りもなく裏稼業再開していたことにはあらためてびっくりです。
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